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輝く☆同窓生

No.151(2026年)

佐賀枝 夏文
〈大谷大学名誉教授〉


豊福 麻記 さん
〈1993年度 短期大学部 幼児教育科卒〉
聞き手: 古谷 伸子 
無盡燈編集委員(大谷大学 准教授)
 対談日 2026年2月

「見えないものに支えられて
  —学びと共に歩んできた道」

─ 豊福さんが、大谷大学短期大学部幼児教育科への進学を決めたきっかけをお聞かせください。

豊福 高校時代、ボランティア活動で障がいのある子どもたちと出会う機会がありました。うまく自分を表現できない子どもたちに、自分が重なり、障がいのある子どもたちの保育や福祉について学びたいと思い、幼児教育の道に進みました。

─ 入学してから先生に出会われた時のことを覚えておられますか。

豊福 最初に受けた授業で先生は、ご自身の喪失体験を語られました。先生を身近に感じたのは、私自身が5歳の時に父と死別した経験が根底にあったからだと思います。

─ 当時、先生はどのような教育や研究をされていたのでしょうか。

佐賀枝 福祉系の教員で、保育と福祉の授業を担当していました。自分の体験や福祉観をお話したことが豊福さんの心に響いたみたいですね。


幼教フェスティバルに向けて合奏練習に励んだ日々

─ 豊福さんは、どのような学生生活を送られましたか。

豊福 学生生活は、本当に朝から晩まで多くの授業を受け、課題に追われていました。ピアノの授業が辛かった思い出もあります。また、旅行が好きで、長期休みには北海道や離島、地方の幼稚園や保育園にも見学や実習に行かせてもらいました。
 当時の私は、保育とは元気に明るい子どもを育てることであり、がんばれば良い保育者になれると疑わずにいましたが、後にそうではないことを知ることになりました。先生は授業で「保育は受容と共感」と言われ、ありのままを受けとめること、子どもが抱える悲しみや心の痛みに目を向け、共にあること、歩むことの大切さを学んだ気がします。父との死別後、元気がなく明るくもなかった自分の子ども時代を肯定してもらった気がしました。
 当時の私は、保育とは元気に明るい子どもを育てることであり、がんばれば良い保育者になれると疑わずにいましたが、後にそうではないことを知ることになりました。先生は授業で「保育は受容と共感」と言われ、ありのままを受けとめること、子どもが抱える悲しみや心の痛みに目を向け、共にあること、歩むことの大切さを学んだ気がします。父との死別後、元気がなく明るくもなかった自分の子ども時代を肯定してもらった気がしました。
 ある日、研究室で「バウムテスト(樹木画テスト)をしてみない?」と先生に言われました。木を描き終えると、先生が「小さい時に辛い出来事があったのでは?」と言われました。その瞬間、声をあげて泣きました。初めて父の死について泣いた日でした。「5歳のときに泣いてよかったのだよ、泣かなくてはいけなかったのだよ」と言ってもらいました。自分の抱える喪失や生きづらさを自覚し、泣いてもいいことを知った大きな出来事でした。

佐賀枝 私はバウムテストを研究テーマにしています。しかし、その時は心理判定をしようと思ったわけではなくて、話のきっかけが欲しかったのです。
 豊福さんがお父さんの死を自分の問題として抱えるようになった変遷を聞かせてください。


小さな山村の幼稚園で勤務していた20代

豊福 10年前に母が病気で亡くなり、その後親族から父の死が自殺であったと聞かされました。長年、過労による病死であると教えられてきたので、予期せぬ暴露に何日も泣き続けました。もう真実を、当時を、記憶する人は、誰もいませんでした。死後30年以上の時が経ち、全ての公的記録は消失していました。

佐賀枝 遺された豊福さんが悲しみを抱えて今に至り、自死遺児支援の活動につながっていくのですね。

豊福 父の自殺という事実を知ってからも誰にも言えませんでした。唯一、話を聞いてもらいたくて連絡したのが先生でした。

佐賀枝 豊福さんと「いのち」について語りあってきました。その中で「命は預かりもの」という言葉について考えたことがあります。
 赤ちゃんが生まれたら「授かった命、大切にね」と言いますが、私は違うと思い始めたのです。「授かった命」だから自分のもの、だから自分でどうしてもいい、「授かった命だから放っといてくれ」、「私の命だからどうなってもいいじゃないか」と、暴走したりリストカットしたりする子どもたちが異口同音に言います。それはおかしいと思った訳です。「お預かりした命」ではないのかなということに思い至ったわけです。預かった命だったらいつ返してと言われるかわからない。なので、懸命に生きる道筋もできるだろうと。  お父さんも「お預かりした命」だったから、そのとき返せと言われたのだろうと話したことがあります。


2025年春、卒園してから20年以上を経ての再会

豊福 先生は、「人生には、起承転結があって、いつか転じられるといいですね」ということも言われました。私は辛くて苦しくて一生転じられないと思ったのです。そしてなぜ転じなければいけないのかという気持ちもあって、見えない世界に反発しました。そんな私に「変われなくてもいいんじゃないかな、変われないでしょう」と言われましたね。私は父の死をなかったことにしたいし、やり直しをしたかった。そんな気持ちを先生にぶつけてきたように思います。
 そんな私に、「豊福さんは、僕の教え子だから」と言ってくださった。反発しても、先生は一貫して見えない世界を届け続けてくださっています。卒業して何十年の月日を経て、真の「受容と共感」を届けてもらったのだと思います。

佐賀枝 バウムテスト研究から始まって、実際の樹木を見ることが私のライフワークになりました。目に見えない世界というのは、その根っこのところだと思います。見える世界はあるわけだけれども、でもそれを見えない世界で支えている大いなる「はたらき」があるということです。
 「インド仏教遺跡研修」に参加した時には無憂樹、菩提樹、沙羅の木に出会いました。最近私は東京大空襲で残った戦災樹木や広島の被爆樹木と言われる樹木を調べています。被爆し枯れた樹木が被爆二世を残しているのです。
 樹木が教えてくれたことがあります。長崎で被爆したクスノキの二世に豊福さんを重ねてみました。「私は、なんで親木が被爆して枯れていったのか恨みます」と考えるかもしれません。
 しかし、被爆して枯れた親木のクスノキは、二世のクスノキに「生きて」と願い続けていると思うのです。被爆二世のクスノキは東本願寺前の「お東さん広場」に移植されています。

豊福 今はあの日、父が5歳の私を連れて逝かなかったのは、父が最後まで生き抜いた証ということかなと思いますし、母は自殺と言わなかったのではなくて、言えなかった、言わせない社会だったと思っています。

佐賀枝 豊福さんが今やっている自死遺児支援の活動について、調査の狙いと、何を実現したいかを聞いてみたいと思います。


2026年3月、勤務する特別支援学校での卒業式

豊福 8年程前に、グリーフ(※)サポートが確実に得られる社会の実現を目指す一般社団法人リヴオン代表の尾角さんの講演を聴き、死別は乗り越えなくてもいいし、揺らいでもいいということを知りました。遺児支援について、先進的な欧米諸国のグリーフサポートのリーフレットには、「泣いてもいいし、怒ってもいい、わからないことは聞いてもいい」ということが書かれ、遺児となった子どもたちに届けられていました。そうした学びの中で、グリーフケアやグリーフサポートという言葉に惹かれ、学びたいと思うようになりました。
 3年前、コロナ禍で増えたオンライン研修で岡山県立大学の大倉さんの講演を聴いて心が揺らぎました。死に方にとらわれるのでなく、最後まで生き抜いた末の自殺ということに、自殺について差別していたのは他でもなく自分であり、死に優劣をつけるということは、生に優劣をつけることなのだということを知りました。かつての自死遺児であるお二人の研究者の方との出会いが、現在の活動に繋がっています。
(※)グリーフとは「喪失体験から生じる様々な反応や状態」のこと 〈『真宗僧侶とグリーフ』東本願寺出版〉

佐賀枝 豊福さんは自死遺児として生きている訳だけれど、自死遺児である子どもたちに何を伝えたいですか。

豊福 子どもたちには、泣いてもいいし、怒ってもいい、わからないことは聞いてもいいというメッセージを届けたいです。そしてたった一人でもいいからそう伝えてくれる大人がそばにいてほしいと願っています。私が抱えたグリーフと同様に、その子ども自身のグリーフを誰かが肩代わりすることはできないと思うのです。ただそれに向き合うための足場となるようなサポートは必要であり、届けられたらいいなと思っています。

佐賀枝 どのような支援のシステムや組織を作りたいのですか。

豊福 子どもたちが手に取って読める心と知識の糧となるような絵本やリーフレットと、その子どもを取り巻く大人へのサポートブックやウェブサイトを作成したいです。必要とする支援と情報提供が届けられることで、自死遺児の子どもたちが自己選択・自己決定・自己実現できるような支援体制を社会の仕組みとして作りたいと思いました。

佐賀枝 第一歩として始めているところがあるのですか。

豊福 現在の日本は、大人へのサポートは少しずつ認知されてきましたが、子どもへのサポートはまだまだこれからです。子どものグリーフはなかったことのように扱われ、ケアやサポートから置き去りにされる社会のしくみや現実に、怒りや違和感、悲しみを覚えました。そこで、子ども時代に家族の自殺を経験した当事者の声をまず集める必要性を感じました。そしてその声に基づいた支援ツールを作りたいと思いました。声の数だけニーズもあって、多くの声が集まれば、多くの人が活用できるツールができるのではないかと考えました。誰一人とり残さないという思いで、官民協同で作ることを目指していますが、かなり難航しています。500人の声を集めたいのにまだ80人ぐらいです。最期まで諦めずに力を尽くしたいと思っています。手を伸ばせば支援や情報に届く社会の実現を願い、自死遺児支援の必要性を行政と社会に提言していきたいと思っています。

─ 豊福さんは、子どもの時にこのような仕組みがあったらという思いで活動されているのですね。

豊福 この調査は、親やきょうだいを自殺で亡くした当時0歳から19歳だった子どもが、死別後に親や親族、地域の関係者からどのような情報提供と支援を望んでいるのかを明らかにすることを目的としています。
 同窓の皆様、調査の広報について、ご協力をお願いいたします。これは、研究のための調査ではありません。この先には、自死遺児支援という実践があります。かつての自死遺児が、今を生きる自殺で家族を亡くした子どもたちへ「一人じゃないよ」という声を届け合う相互のプロジェクトです。自死遺児への支援ツールや社会で支え合う仕組みを共に創っていきたいと思っています。私たちはこのプロジェクトを通して、未来に向かって共に伴走していきたいと考えています。皆さんからいただいた回答が、社会へのメッセージ、変革の原動力となります。この調査が、参加された皆様のグリーフサポートとなることを、また、自死遺児の子どもたちが自己選択、自己決定、自己実現できる社会を築くためのムーブメントとなることを願っています。


2号館 下村良之介先生の作品「翔」の前で   写真右:聞き手 古谷

─ 最後に、お二人にお伺いします。まず豊福さんは大谷大学での学びが今のご自身にどう繋がっていると思われますか。

豊福 「見えるものより見えないものを」ということを問われ、語りかけてもらった大学生活でした。卒業後も「受容と共感」をこうして届けてくださったことが、私にとって何よりの大きな学びでした。大谷大学は、今も私の「生きる」を支え、学びを届けてくださっています。あの日、先生が「豊福さんは、僕の教え子だから」と言ってくださったように、私もそんなまなざしを子どもに届けられる大人の一人でありたいと思っています。
 今度は私が自殺で家族と死別し、支援を必要とする子どもたちに「一人じゃないよ。泣いてもいいし、怒ってもいい、わからないことは聞いてもいい」ということをこのプロジェクトを通して、伝えたいです。

─ 佐賀枝先生には、福祉や保育、教育の現場で活躍する同窓 の皆様にメッセージをお願いします。

佐賀枝 大谷大学の学びは、自分を通しての学びだと思います。現場の全てのことが学びの材料になると思います。福祉、保育、教育の実践は、心理学者のユングが言う「星と星が線で結ばれて星座になる」というユング理論のように、現場での出会い、全てのことがいつか「つながり」そして「結ばれる」はずです。周りから見ればバラバラでも、つなぐと自分の生き方になり、いつかは星座になると思います。過去にとらわれることなく、苦しみは苦しみとして、楽しみは楽しみとして今目の前にある為すべきことを為していったらいいと思います。いただいた現場は、人間教育の場です。現場で生き、学び続けてください。

─ 本日は、ありがとうございました。

 

「子ども時代に自殺で親やきょうだいを亡くした私たちの声 ―全国自死遺児500人調査―」にご協力くださ

死別後にどのような情報や支援が求められていたのかを明らかにし、今後の自死遺児支援につなげることを目的として、2025年4月よりアンケート調査を実施しています。本調査の趣旨にご賛同いただき、情報の周知・発信にご協力いただける方も、ぜひご覧いただければ幸いです。
この調査はクラウドファンディングによる寄付金と科学研究費助成事業、岡山県立大学教員研究費、教員研究旅費を活用して行なわれています。

ホームページ:https://www.children-bereaved-by-suicide.com/home

[調査メンバー]
大倉 高志(岡山県立大学 保健福祉学部 准教授)
尾角 光美(一般社団法人リヴオン代表)
豊福 麻記(公立学校講師・本プロジェクト発起人)


アンケート調査の参加者
0~19歳の間に親やきょうだいを自殺・自死で亡くした調査回答時に18歳以上の方(死別後6か月以上が経過していること)

調査で明らかにしたい課題
① 自殺の事実や死因などの望ましい伝え方
② 自殺現場を見た場合に必要な支援
③ 遺体との望ましい対面の仕方
④ 情報提供と支援のあり方

全国自死遺児500人調査 特別フォーラム「自殺/自死で家族を亡くした子どもと宗教者がであうとき」
2025.9.16撮影、写真左:渡邉元浄さん(2002年度 文学部真宗学科卒)

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