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特別対談(鷲田先生×一楽学長)

No.150(2025年)

『無盡燈』 創刊150号記念 特別対談
大谷大学の「Real」

鷲田 清一 先生一楽 真 学長
聞き手:
釆睪 晃 無盡燈編集委員(大谷大学 教授)  
対談日 2025年2月

 
 この度、大谷大学の同窓会誌『無盡燈』が150号の節目となることから、特別企画として鷲田清一先生と一楽真学長の特別対談を行うこととなりました。
 大谷大学について、様々な視座からお話をいただければと思います。

大谷大学の「文(あや)

鷲田 大谷大学は私にとって身近な大学で、教員として勤める前から、哲学の先輩や後輩を訪ねたり、近くの洋書屋さんに行った際によく立ち寄っていました。著名な先生方に囲碁で遊んでもらえるほど(笑)。
 私自身の教員生活は、巨大な大学が殆どでした。その点、大谷大学の哲学科での授業は少人数制で一人一人の顔がわかる状況で、すごく「実」のある授業ができたように思います。
 また、大谷大学は、キャンパスはコンパクトですが文系の大学として歴史は長く、宗教はもちろん、社会や文化の在り方、人類の歴史と、様々な分野に精通する間口の広い学校だと感じています。
 文系といえば、近年、「文理融合」とかよく聞きますけれど、何かと世間では文と理とを対立させるのが気がかりです。どちらも「文あや」とか「理ことわり」という意味で、全く対義語ではない。「文」の対義語はむしろ「武」です。

一楽 最近は、文系にも理系の発想をもっと持てという文脈で「文理融合」が言われますよね。私は、逆にテクノロジーをやっておられる理系の方が文系の考え、特に哲学をもって「何のために」これを作るのかを考えて欲しいですね。

鷲田 もう一つ文系学部について考える際に大事だなと思うのは、大谷大学のキャッチフレーズである「Be Real」です。しかもサブフレーズが「寄りそう知性」という、この発想がおもしろい! 「Real」は〈ほんもの〉〈現実的〉と同時に〈根源的な真〉ということですよね。本当の理ことわりというか。文系学部というと、「実」「Real」ではなくて、「虚」で役に立たない、その点、理系は社会ですぐに役に立つ実学だと言います。私は、これは文系学部へのひどい誤解だと思っています。実学の「実」というのは決して役に立つという意味ではないのです。「実」というのは、社会の課題・問題と取り組むということでなければならないのです。

「耐える」力

鷲田 私が文系学部の定義で一番好きなのは、評論家の大おおや宅映えいこ子さんの「死ぬとわかっているのに人はどうして生きていけるのか。その理由を考えるところが文学部というところです」という言葉です。死ぬとわかっているのに頑張るとか生きていこうとするのはどうしてなのか、その理由を考える。その定義も見事ですけれども、その理由が誰にもすぐ にわからない点が大事だと思います。
 重要な問題は答えがすぐに出ません。それと付き合う「耐性」みたいなものが文系学部の先生、学生にはあります。すぐには答えが出なくても耐えられる、それも文系学部の強みです。

一楽 そうですね。大谷大学は文学部1学部から4学部となりましたが、その願いというのは一緒です。  決してぶれないようにするために、どの学部学科に入っても、自分が人間であることを一度考えてみようと「人間学」という授業を設けています。
 その授業で「あなた人間ですか?」と聞いたら「何を訊いているのか」と言われるのですけれども、「では何をもって人間というの?」というとだんだんわからなくなってきます。
 でも、悩むことはものすごく大事ですよね。学生たちは「悩んだら悪い」みたいにどこか考えているようです。世間では早く答えを出すことや効率が重視されていますが、「悩んだ人はいっぱいいるから」「お釈迦さまも親鸞聖人もそうです」と話すと、「悩んでもいいのか」と気づきます。それは学生の特権でもあり、たくさん悩むべきだと私は思います。
 もちろん、これは生きるうえで大切なことですので、「人間学」という授業に限らず、「人間」について考える「根っこ」を育てるように、大学での学びを提供しています。

鷲田 「死ぬとわかっていて人はなぜ生きていけるのか」を考えるとき、それは決して抽象的な問題ではありません。介護施設やホスピス、病院で、死という出来事は日常的に起きています。そんなときに、文系学部の学生は、すぐに答えが出なくても、その問題そのものに「ああでもない、こうでもない」と、思いあぐねている人とじっくり付き合えます。これは、私が文学部で学んだことの財産の一つだと思うのです。
 すぐ答えを出さなくても怖くない、考え続けることの方がむしろ本当の答えにつながるという感覚を持てる人は時代にも人にも「流されない」のです。そういう意味で私は、文系学部の出身者は、答えが出ないことに「耐える力」があると思っています。

慈悲 ― 寄りそうこと ―

一楽 鷲田先生が「臨床」哲学を提唱されたことを承け、真宗学科の中に「現代臨床コース」を設置しています。文 献の研究だけではなく、そこに立ってどう生きるか、どう人生に実を結ぶかという「実」を大切にしています。

鷲田 臨床というのは、〈ベッドサイド〉という意味で、〈苦しんでいる人の場所に出かけていく〉という意味です。
 学びというのは自分の知性を世の中のためにどう役に立てられるかです。

一楽 お釈迦様は人をランクづけしませんでした。お釈迦 様の智慧は、他者とどう生きていけるか、関係の中で大事にし合うということが原点にあります。「寄りそう知性」の「知性」という言葉は仏教では智慧ですが、「慈悲」という言葉とも重なります。本当に知的であるということは、慈悲の心でお互い敬い合うことだと受け取っています。
 お釈迦様や親鸞のことに触れてもらうと、「こんな見方があるのですね」とか「親鸞って優しいのですね」と学生が言ってくれます。教員としてもっと頑張らないといけないなと思うきっかけになります。

鷲田 私が〈寄りそう〉ということにリアルなイメージが持てたのは、東日本大震災について市民集会を開催した時です。最後にある先生が「皆さんにとって良い専門家はどういうものですか?」と訊かれたのです。そうしたら市民の方が「一緒に考えてくれる人」が本当の良い専門家だと言ってくださいました。本当に身に沁みました。

一楽 そのように大谷大学の「Be Real 寄りそう知性」を見ていただいてありがとうございます。
 しかも「Be」がついていることが大事なんです。「Real」だけだと、下手すると論理だけに終わるかもしれませんから。

鷲田 「あなた自身が」どうなのか、という点が問題になるのですね。

一楽 「Realであれ」ということですからね。

問いながら歩む

一楽 大谷大学第3代学長佐ささき々木月げっしょう樵先生が「大谷大学樹立の精神」を100年前に掲げておられます。大谷大学は宗教・仏教を基にした人間形成の学校でありたいということ。もう1つは当時お寺や教団の中に閉じ込められていた仏教を、学校を通して一般の方にも解放していきたいという思いが非常に強く表れています。宗教のものの見方・考え方を持たないと流行に流されてしまうかもしれません。その時に「三モットー」を揚げられています。その1つ目が「本務遂行」です。しかし、なかなか、自分のなすべきこと、何をするためにここにいるのかという「本務」がなかなかはっきりしません。2つ目が「相互敬愛」です。お互いに大事にしましょう、と。そして3つ目が「人格純真」です。これは〈ごまかさない〉という意味だと思います。どうしても世の中の流れに乗りがちですけれども、本当にそれでいいのかということを問いながら歩めということです。「三モットー」は、100年たった現在、かえって大事にしないといけないなと思っています。
 卒業生から聞く言葉に「もっと勉強しておけば良かった」があります。在学中にこうしておけば良かったという人の方が充実した大学生活を送ったと言えるかもしれませんね。

鷲田 私が大谷大学で担当していた大学院の学生に、ラジオのパーソナリティの方がいました。彼女は仕事がありますので修士を2年ではなく最初から4年間のコースで学んでいました。その学生さんは、「入学した時は、修士号をできるだけ早く取って早く修了したいと思っていたけれど、実際に勉強を始めたらずっといたいという気持ちに変わった」と言ってくれました。

一楽 それは大変うれしい言葉です。

鷲田 卒業生の話題が出ましたが、最近各大学ともホームカミングデーを開催しています。旧交を温めるだけではなく、ポイントが2 つあると考えています。1つは、「学び直し」です。大学で答えが出なかった問いを、いろいろな経験を経た上で考える。もう1回大学で学び直すということは大事なことだと思います。もう1つは、学ぶ人や後輩を応援するということ、どういう応援ができるか相談できる場がホームカミングデーである。そんなイメージに変えられたらいいと思います。

一楽 「学んでおけば良かった」で終わらせるのではなく、「今が学び時です」、「遅くありませんよ」と訴えていきたい と思います。

本日は、ありがとうございました。
 
鷲田 清一

京都府出身。
京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
大阪大学総長(2007~2011年)や京都市立芸術大学の理事長・学長(2015~2019年)を務めた。
大谷大学教授(2011~2015年)。専門は臨床哲学、倫理学。『モードの迷宮』
(ちくま学芸文庫)、『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』(ちくま学芸文庫)、
『所有論』(講談社)など著作多数。

一楽 真

石川県出身。
大谷大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。
2018年、学位論文「親鸞の救済論」により、大谷大学から博士(文学)の学位を取得。
大谷大学教授(2009年~)、第29代 大谷大学長(2022年~)。
専門は真宗学。『シリーズ親鸞〈第5巻〉親鸞の教化-和語聖教の世界』
(筑摩書房)、『日本人のこころの言葉 蓮如』(創元社)など。

この対談を動画で観たい方はコチラ!(1年間の限定配信)
https://www.youtube.com/watch?v=suihSl6PZlo&t=98s
Be Real 寄りそう知性 Realに込めた想い
https://www.otani.ac.jp/be_real/
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