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大谷大学と私

No.150(2025年)

大谷大学と私
名誉教授  
並木 治
教育と研究の接点 ~ 私なりの ~

  二十数年前、私は大谷大学で導入教育(FD)の立ち上げに携わる機会を頂いた。もともと不器用な私は、授業スキルに自信があったわけでは全くなく、しかしそれだけに余計、その必要性は人一倍感じる教員であった。
 当時はほとんど意識していなかったことだが、今振り返ると長年にわたる私なりのジャン=ジャック・ルソー研究や、「卒論指導」での学生諸氏との学び合い経験から、実に多くのものを得ていたことに気づく。これも、大谷大学が古くから堅持してきた卒業論文や外国語必修制度、海外研修での教員学生間の生きた体験・共感機会などが重視されてきた大学であったからこそ可能だったのだと、今改めて感じている。
 ルソーの著作のなかで教育がとりわけ中心テーマとして扱われているのが『エミール』である。そこで見逃せない特徴は、教師とエミールの間に見られる、互いに学び合い、高め合い、決して相手の人格を否定しない相互成長関係である。最初、エミールが「われわれの生徒」と称されるように、読者との共有性が意識されるのとは対照的に、青年期が近づくと次第に生彩に富む直接話法での対話が増え、「私のエミール」という親しみのこもった感情的表現が目立つようになる。今の時代に置き換えれば、いわば大学生の青春時代が対象である。
 この時期になると、著者ルソーがときに直接介入し、読者に語りかける。「生徒の弱点を直してやりたいなら、自分の弱点を彼に見せてやることだ。生徒が自分で体験している心の闘いと同じ闘いを、あなたも持っていることを分からせてやり、あなたを手本にして自分に克つことを学ばせるのだ。」(第4篇)
 大谷大学でのFD策定に先立ち、当時の私たち研究会の教員や、ゼミ生有志と共に、夜の最終授業終了後、頻繁に試行錯誤を承知で研究を重ねていたが、私が少々情けない失敗をつい正直に伝えても、学生諸氏の反応は意外なほど温かく、感動したのと同時に、思わぬ力を得たことを、今もつい昨日のことのように思い出す。
 「人間」という日本語自体が示唆する如く、「自分」の成長とは「われわれ」との間柄の中ではじめて可能となること、私が「私たちのなかの私」として折り合いをつけて、はじめて成し遂げることができるという捉え方は、『エミール』の随所に見いだせる点である。
 また、最近何かと注目される齋藤幸平氏も言うように、「学び成長しながら今とは違う自分になっていく」という上昇過程が、ヘーゲル哲学に示されている特質とすれば、ルソーにはその萌芽が既にいたるところに見られるとも言える。
 ちなみに、私が曲がりなりにも難解なヘーゲルに親しめるようになったのも、「成長」をテーマに深く関心をもつ当時の
一学生との貴重な御縁の賜物なのである。
 私の自信や教師力は、果たして最後には向上したのだろうか。残念ながら答えはほぼ否である。しかし立派に育った元ゼミ生諸氏のさまざまな成長に立ち会えたことこそ、間違いなく私にとっての終生の思い出である。

略 歴 紹 介

並木 治(なみき おさむ) 名誉教授

1947年 3月 東京都に生まれる
1969年 3月 早稲田大学第一文学部卒業(西洋史)
1975年 3月 早稲田大学大学院修士課程修了
       (フランス文学)
1975年 4月~ 法政大学、駒沢大学、津田塾大学、
        フランス・アルザス成城学園、
        フランス・コルマール市文化センター
        (日本語担当)などで非常勤講師
1991年 4月 大谷大学短期大学部助教授
1999年 4月 大谷大学文学部教授
2012年 4月 大谷大学名誉教授
1996年10月~1998年9月 大谷大学短期大学部長

【専門】 フランス文学・フランス文化

【著書・論文】
ジャン=ジャック・ルソー -政治思想と文学-
               (早稲田大学出版部)共著
『孤独な散歩者の夢想』における「植物学」が意味するもの
  ー「第七の散歩」を中心に ー(大谷大学西洋文学研究会)
コペルニクスも変えなかったこと :
       行動生物学的恋愛論(法政大学出版局)共訳
アランとルソー : 教育哲学試論(法政大学出版局)共訳
ルソーにおける「理性」の問題(日本フランス語フランス文学
会)その後、学会誌31号に全文掲載
など

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