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No.144(2019/6) 「少年アーナンダ」

 

No.144

 仏教の基本は一人の私のより良き生き方にある。常に私におきかえて世の中を見なければいけない。縁起(ものごとの根元の探究─釈尊はその源は無明(無智)とはっきりと説かれている)、無常(常ならん)と四苦八苦の現世を認識し、美しさや喜びを感ずることにある。
 アーナンダ(阿難)は釈尊の従弟にあたり、また25歳以上若かったと伝えられている。十大弟子の中で「多聞第一」と言われるのは、釈尊の身近でお世話をし、数多くの説法を聴いていたからに他ならない。60歳近くの齢となられた釈尊は身の回りの用事をしてくれる弟子を求められた。多くの仏弟子が申し出たが、若く、従弟にあたるアーナンダに決められた。律儀なアーナンダはその役にあたるに際し、釈尊への布施の折の食事や衣の施しなどは受けないという自身の戒をたて、その後の釈尊と共にされた。釈尊は説法をするのに、同じことでもわかり易くするために対機説法という、人によって話し方を変えられた。そのためにアーナンダは余りにも多くの対機説法を聴いていたために、悟りの境地、アラハン(阿羅漢)にはなれなかった。アーナンダがアラハンの境地に達したのは、実に釈尊の死後初めての結けつ集じゅう(経典編纂会議)の早朝だったという。
 アーナンダの晩年や、若年時の出家の動機などはほとんど伝えられていない。晩年にアーナンダは仏法をよりどころにしてくれない人が多く、ガンジス河で入水自殺をしている。以前に桜部建先生は、仏教では自殺を善とも悪とも言わないとおっしゃったことがある。その時は解らなかったが、仏教は全ての縁、縁起によっているのであると思えるようになった。人は少年の頃からの性格や天分は余り変わらない。アーナンダの少年の頃はと自分の中で想像を膨らませて描いた。

畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・インド美術研究者

 

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